武術の門派、流派

2015年11月29日 20:07

 門派とは宗門であり、一つの家族、ファミリーのように構成、存在するイメージである。中国武術の門派は八掛門、螳螂門、太極門、八極門、心意門等々である。門派宗門から流儀の違いによるそれぞれの系統の流れが分枝すると、流派となる。例えば太極拳の流派は陳式、呉式、楊式、孫式、武式である。要するに、川の源流(主幹)は元々一つであり、下降に降るにつれて支流(分枝)が生まれるように、門派は主幹であり、分枝は流派となる。

 昔から中国武術の門派、流派の拳系図が存在している。図1は心意六合拳の拳系図である。此の点は日本の歌舞伎と似ている。歌舞伎の宗門、門派は係属、家系で継続している。勿論、宗門は系図の流れで証明されている。

 世の中には様々な会がある。これは門派とは性質が全く違う。会とは、組織として主に人を集める目的である。即ち、人々が集まって作る団体組織、グループを言う。例えば太極拳同好会、練拳の会、武術会などである。会は作りたければ制限がなく、いくつでも勝手に作れるが、門派を作ることは簡単にはできない。何故ならば冒頭に言ったように「宗門、流派は流儀の違いによるそれぞれの系統」で各自、独自の理念、理論、技術系統が形成したものである。この観点から門派、流派は勝手に作れるものではないと常識として認識している。正確には門派は作るものではなく、創立するものである。これを議論すると、創立ならば条件を満たさないと承認されることができないでしょう。私が知っている限り「中国近代史には少なくとも50年間以上、新しい武術門派は誕生したことが無い」と視ている。即ち、今の時代は武術門派が創立する環境はなく、創立自体があり得ないと言える。

 中国武術には、入門する時に伝統の儀式を行う風習がある。左右に蝋燭を付けて、師の前に顔を向け、正坐して同時に両手を合わせながら頭を下げて参拝する。此の儀式は“入門拝師”と言う。又、“破門”と言う方法で師弟の縁を絶って弟子の資格を奪って宗門、門人から除き去ること。即ち、「弟子を破門する」。

 中国の武術界に「親不親,武術親,武術親,一家人」の諺がある。「親戚では無いが、武術親戚であり、武術親戚であるから一つの家族である」と言うことである。要するに例えば同じ門派同士が遠くから訪れ、食や住を無料で提供、招待することは自然なことである。同じ門派同士を兄弟、親戚と思っているからである。

戻る

© 2015 All rights reserved.| は無断で加工・転送する事を禁じます。

無料でホームページを作成しようWebnode